【認知症】一律での車免許取り上げに不満wwww
京都新聞
認知症の人の自動車運転に関する調査
認知症の恐れがある75歳以上の自動車運転免許保有を規制する改正道交法が2017年に施行されたことを受け、認知症の人と家族の会(京都市上京区)は、社会的支援の充実を国に求める声明を発表した。高齢者による車の事故が社会問題化し、認知症への風当たりが強まる半面、認知症をひとくくりにして免許を取り上げる手法には不満の声も上がる。認知症の高齢者に寄り添ったきめ細かな施策が求められる。
返上は死活問題に関わる可能性
改正道交法は、75歳以上が免許更新時などに受ける検査で「認知症の恐れ」があると判定された場合、医療機関の受診を義務付けた。認知症と診断されれば、免許取り消しか停止となる。
だが、認知症の高齢者や家族の思いは複雑だ。 京都市北区の会社員女性(58)は16年、認知症の義父(74)に免許を返納するよう求めた。義父は「忘れっぽくはなっているが、運転は十分できる」と激怒した。女性からみても義父の運転に特に異常はなかったが、「事故が起きてからでは遅い」と説得を重ね、17年に返納させた。
改正道交法の施行について、女性は「免許を返納する一つのきっかけにはなる」と受け止める。一方で、認知症の人すべてが正しい運転ができないとは思わない。「もう少しきめ細かい判断基準があってもいいと思う」と話す。
公共交通機関の整備が不十分な地域では、免許の返上は死活問題に関わる可能性がある。認知症の人と家族の会が昨年1~2月に全国の介護者を対象に実施したアンケートでも「バスが少なく、通院に困る」「買い物ができない」などの声が寄せられた。免許返納について、「本人が納得しない」「生活に支障が出ている」との回答を合わせると過半数を占めた。
また、認知症の高齢者の20%が現在も免許を持っており、「事故を起こした経験がある」は15%、「危うかったことがある」は11%だった。認知症の人と家族の会によると、これらの数値は認知症を発症していない高齢者と比べて特に高いとは言えないという。
個人の能力に応じた評価制度を
認知症の人と家族の会が先月18日に厚生労働省や警察庁に提出した声明文では、改正道交法の趣旨に理解を示しつつも、高齢者の事故は「必ずしも認知症が原因のものばかりではない」と指摘した。その上で個人の能力に応じた評価制度の確立や車に代わる移動手段対策の充実、運転適性の出張相談の実施などを求めた。 国は認知症の高齢者を切り捨てるのではなく、生活を守るという視点に立って、支援内容を充実させる必要がある。
参照元 Yahooニュース
参照先URL https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190204-00010000-kyt-soci
何歳であっても運転能力と、万一の時に補償する能力が有れば運転しても構わないと言うなら、それを満たしていれば18歳未満でも運転して構わないという理屈も通ってしまう。
70過ぎたら定期的な認知症や運転技能の検査の義務化(そこそこの金額を取っても構わないと思う)、80過ぎたら免許返納を義務化してほしい。
免許更新や認知症や運転技能の検査で徴収したお金は、免許返納した人が公共交通機関やタクシー、宅配スーパー等の割引を受けられるようにする費用に充てて、免許を持っている人が免許返納した人を助ける仕組みを作ればいい。
車の維持費や運転することの疲労を負うより、それらのサービスを利用したほうがいいと思わせないと、変化を好まない年寄りは何も変えようとしないよ。
じゃアクセルとブレーキ…意図的なのか?
>個人の能力に応じた評価制度
百歩譲って、認知症が原因ではないと言うのならば一旦一定の年齢で返納して免許証取り直しならいいよ。
学科も実技も本当に合格するくらい実力があるなら。
それと当然許可してる側の責任も付いてくるなら。
ま、都会の人は再取得しなくても公共機関使えるだろうから、取得しないだろうから市街地での事故は減ると思うし、どうしても必要な地域は運転能力さえあれば乗れるんだから。
でも診断されたら乗らないでほしい。
足がないのはあなただけじゃない、もう既に素直に返納されていたり、元々免許を持たない人も過疎地にはいる。何らかの理由で乗れない人もいる。
今、車に乗ってる人から免許証取り上げられるのだけが厳しい仕打ちではない…。
方法はあると思う。
認知症と診断されたら免許は返納して或いは発行しないで欲しい。
事故を起こしてから認知症だったなんて事がないようにして欲しい。認知症でない高齢ドライバーも自分もいつかはと考えて生活をしないといけないと思う。
事故を起こした起こしそうになった割合の話も自分で気付いていないだけで他人から見たら十分危険な運転の可能性もあるのではないか?
何年か前だったと思うが免許返納を迫られたご老人が家に放火したという事件があったが、認知症の方の感情抑制が効かないということはよくあることなのではないか?
そして高齢化社会の今、膨大な数の個人個人を細かくチェックするほどの余裕はなく一律の強制は仕方がないのではないか
自分が不便だ家族に負担がと言うが、もし自分が事故を起こしたら人を巻き込んだらという思考に至らない時点で車を運転する資格が無いのではないか
これに関しては認知症以外の人にも言えることだが
若者より昼間、いっぱい時間ありますよね?早朝、日中、夕方散歩して「健康のために○○㌔歩いている」と毎日歩いている年寄りをよく見ますが、買い物、病院などの用事は車で行くと私からみたら不思議生活しています。
スピード出さないから大丈夫と口ぐせですが、広い道路へ出る時、安全確認しないでいきなり出てくる、いきなりウインカーだし止まってるの?と思うほど低速で右折や左折する、制限速度40㌔を25㌔や30㌔で走行して渋滞を起こす、狭い道路の中央付近を走行してきて、直前までよけない、運転手をみればほとんど老人です。
認知症というより身体機能が落ちてきているのですから「個々」なんて言っていないで年齢制限でいいです。
都市部以外は公共交通も発達してないしたしかに自動車が必要ではある。
一律免許取消はいかがかとおっしゃる方の意見もわからなくもない。
ただ認知症状は日に寄って変わります。
今日は良くても明日は良いとは限りません。
じゃあ悪い時に万一事故を起こした場合、ちゃんと責任能力はあったと証言してくれますか?
その日はたまたま認知症状がひどかったとか言いませんよね?
運転することより万一誰かを傷つけてしまう危険のほうが心配ではないですか?
道交法も時代に合わせて変わっていきます。
ついていけますか?
車を運転する以上わからないは通らないんですよ。
私は乗らせないことも自己防衛だと思います。
酒を飲んでいても正常に運転ができるから運転しても構わない
…という理屈が今は通らないように、これは通らない理屈だと思う。
安定剤(睡眠薬と似ているものが多い)を飲んで運転するだけでも問題になるのに、多少なりとも認知に問題があるなら運転はしてはいけないと割り切るしかない。
その上でなにかの方策を求めるのであれば、それは行政側で考えたほうが良いと思う。
認知症については未だすべてが解明されているわけではないのに、個人差があるから尊重するべきなどと、サポーターが診断された本人と同じスタンスを取っていると言うのはあまりにも無責任。確かに個人差はあれど、毎日関われば分かるが、昨日出来ていたことが今日は出来ないということもある。軽度なら尚更。
利用して欲しい。
認知症がもっと進んで本人がその自覚をなくしたら、車を取り上げるのも一苦労です。
うちの父は比較的症状が軽い内に車を売りましたし、免許も返納とはいかなかったものの(車さえなければ乗りようがないと判断したので)、更新をしませんでした。
かかりつけ医にも、いつ症状が急激に悪化し発作的に危険な運転をするか分からないからすぐに車を手放すように言われました。
まだ自身が認知症だという人を認識していた時だったのですんなりと車を手放してくれました。
周囲にも知っている人のご主人が立て続けに認知症にかかりましたが、運転中に急に道側からなくなってパニックになったり、車を取り上げようとしたら拒否して、車に乗って家出をした人がいました。
本人にはかわいそうなことかもしれませんが、事故があってからでは遅いのです。
15歳くらいの子供なら、させれば簡単に上手に運転する子はいっぱいいるだろう。
でも「子供だから」一律で「ダメ」なのだ。
老人も、本来一定年齢を超えたら一律「ダメ」にすべき。理由は子供と一緒。何かあった時に自分だけじゃ責任が負えないのも子供と同じなのだから。70歳すぎたひとが事故したら「子供は何してたんだ」と当たり前に言われる。
そうでないにしても、認知症と診断されたら軽重度関わらず「ダメ」にするのは当然。
認知に問題があるのが認知症。
今日、運転に支障なないからといって、明日も支障ないと誰が言えるのか。
70歳を超えたら、保証人付きで免許を更新にしたら良い。「明日もこの人70歳は支障がない」と言ってあげられる人が保証人になってあげたらいいわけだから。
(´・ω・`)
だからこそ、事故を起こすリスク減らす為に健康面での厳しい取り締まりは必要だと思う
健康面に何の問題もない人間に比べたら、認知症の方は明らかに事故を起こすリスクが高まるだろう
症状によって細分化と言うが、脳の病気なのは明らかなのだから運転はさせるべきではない
少しの判断ミスで人を殺せてしまう凶器を扱うって事を再認識した方がいいと思う
それを考えたら、軽かろうが認知症と判断された人がハンドル握るなんて怖くて出来ないだろう
出来ると言う人は自分の事しか考えていない人間だと思う
認知症でない人でも、最近は高齢者がアクセルとブレーキを間違える等の運転技術としては至極初歩的なミスで人身事故になるケースも多く、認知症となればさらにその危険が大きいということは容易に想像できる。
いざ事故を起こして他人を傷つけてから「認知症だったが、事故は起こさないと思っていた」では許されない。
最近特に認知症の有無に関わらず、高齢者の事故の多発はもちろん運転マナーもかなり酷いように感じる。
自分は高齢者だから多少無茶をしても許されるだろうという意識があるのかと思ってしまうほど危険の意識が低い。
もし個々の能力で判断するというのであれば、一定の年齢以上の高齢者は認知症でない人も全員能力検定をして、合格しなければ免許を失効にすべき。
問題は自分はまだまだ運転できると過信し運転した結果、人の命を奪うこと。ましてや未来ある若年者が被害に遭うことにはかなりの憤りを感じる。もし自分の家族が、子どもが、高齢者の危険運転で命を失ったら…絶対に許せない。
車がないと生活に困るという点はよく分かる。それは社会保障として充実させるべきであると思う。ただ自分の便利な生活を求めるが故に人の命が危険に晒されていることを忘れないでほしい。
高齢者の運転は危険であることが多い。これ以上人の命を奪わないで。
ケースバイケースで対応するには難しいから一定の基準を設けてるんでしょうから。
まぁ、取得年齢が18歳からとかで規定されているなら、返納も規定されて良いんじゃないですかね。
今の自動車の免許制度はザルだから、ほぼ誰でも取れるようになってるし。自動車産業のためにも厳しく出来なくなってるんでしょ。
年寄りが子供を殺しても良い環境を野放しにしないためには規制が必要だとは思いますよ。
あとは、その他のインフラ整備をどうにかする方策を考えて実行する地方行政に努力してもらいたいところですね。
個々の能力云々というが、軽度な患者の場合、認知症の症状が出るタイミングなんて医者でも分からない。認知症をコントロールできるなら、家族は誰も苦労しないよ。
それに万一人身事故が発生したとき、事故を起こした本人は認知症で「事故の発生自体を忘れてしまう」可能性があるが、被害者はやり場のない怒りを持ち、加害者の家族は運転させたことへの後悔を持ち続ける。
認知症と診断がつくのは、ほとんどが、外から見ておかしいと思うことがあってから。
ましてや、認知症も色々な種類があり、様々な症状がある。
年齢相応だと、認知症と診断しない事の方が多い(年齢を重ねると、必ず脳の萎縮はあるし、機能低下はあるから、病気と診断しない医者が多い)。
運動神経が衰えるのと同じ。
それなら、認知症云々ではなく、やはり運転するために必要な運動神経(能力)と、認知機能(判断能力)の検査は少なくとも1年に1回は必ずする事が先決では?
どうしても車が必要であれば、自動運転の車でないと乗れない事にしたら良いと思う。
一人1台でなく、シェア方式を取り入れれば、負担も減る。
取り上げられると文句だけ言ってるだけじゃ、何も進まない。
もともと地方では行政が行うべき交通インフラを個人に頼っているからこその不便地帯。
行政が市民に甘えてインフラが不便になっているのだから、高齢者だけでもサポートできる支援制度を確立して認知症の方が安心して返納できる地域になってほしい。
高齢者が認知症を理由に返納しろというのに反発を覚えるのはある意味仕方がない。
身体が動くのに目に見えない障害によって返納を迫られたら怒る人だって出るだろう。
しかし、心を鬼にし、鉄の塊・一瞬で他人を不幸にする事がある事を家族が自覚して返納へ誘導してほしい。
ただでさえ高齢になるにつれて事故を起こす危険性は高くなるのに、認知症まで加わってはますます危険だと思います。
万一事故を起こした場合は誰が責任を負うのでしょうか。
認知症の症状は日によっても違いますし、また、少しの環境などの変化でもあっという間に症状が酷くなります。
今は大丈夫でも明日はダメかもしれない事、万一事故を起こした場合の責任はどうするのか、良く考えて頂けたらと思います。
また、地方で交通の不便な場所での公共の交通機関の整備なども、予算など厳しいでしょうが、もっと進められたらと思います。
認知症の人の運転は世の人々にとって文字通りの死活問題です。
本人や家族の言い分はもちろん分かりますが、それは無関係な他人の身の安全を犠牲にしてまで守られるべき権利なのか、という話です。
さらには、個人の能力で評価するなどということが現実的に可能なのかという問題もあります。
運転可と評価された後に症状が進行したらどうしましょう。
それを見落とさないように毎月もしくは毎週でも講習を実施しますか。
このように考えていくと、やはりある年齢で一律に返納というのが落とし所のように思います。
今の高齢者の方々からは反発があるでしょうが、それも一時のこと。
免許取得の時点でそういうものだと分かっていれば、いずれ制度として根付いていくでしょう。
どこかで思いきって舵を切らなくては、不幸で理不尽でやりきれない事故はいつまでもなくなりません。
自分では大丈夫だと誰しもが思いたいだろうが、事故には被害者がいる事を考えないとならない、無茶や無謀な運転をしなくてもアクセルとブレーキを間違える、車道と歩道の判断がつかないや左右後ろの確認が出来にくいなどは車社会ではかなり危険な行為である。
高齢者が公共交通機関を利用するのは大変だろうし利便性が悪い地方都市もあると思う、が事故被害者の家族の声を聞いてみて考えてみてはどうだろう。
一番リスクが大きいのが自分は大丈夫とかで決めること。
乗る前に毎回検査ができるわけでもなく、
症状も進行しないとも限らない。
高齢者が事故比率が多いことは確かなので、
取り上げられることへの不満はわかるが、
理解してもらいたい。
できることなら、年齢でも区切ってほしい。
走っていても、明らかに確認不足で事故りそうな年寄りを見かける。
まず、視線が動いていない。そんなに視野が広いわけではないはず。
そういうケースが多いので、本当に怖い。
車は簡単に凶器になる。
十分な知識と技能を有していると、認められて初めて免許が与えられる。
免れ、許される、と書いて免許。
権利の主張ばかりするのでなく、車の運転をすることによる危険性を認識するべき。
他人を危険に晒す、つまりは他人の権利を脅かすということになるってことを理解して欲しい。
若い時に比べて身体機能の低下著しい高齢者に、若い時に免許を取得した当時と同等の運転、判断や反応が可能とは思えない。
高齢者には更新時に検査でなく、実技と知識の試験を設け、クリアした者に交付するようにしたら良いと思う。
恐らくこの先技術の進歩、自動運転で認知症であろうとなかろうとの時代が来るのだろうと思うが、その時まであと10年?をどうするか。
一律返納(取上げ)には問題もあるでしょう、暫定的な解決策なら恐らくその年代ならマニュアル車で免許取得されてるだろうから、マニュアル車限定にするとか、免許の更新を毎年とし免許センターや教習所を借りて実技試験を行うとか・・・・事故を起こした後の高齢者の末路も、被害者とその家族の悲しみも想像を超えますよね、100点満点の解決策は今のところないでしょう。
車を運転するだけなら訓練すれば小学生高学年でもできる。
小学生に車の運転が許されないのは運転能力がないからではなく贖罪能力がないから。
公道でなければ小学生ドライバーもいる。
認知症の有無に関わらず、年齢とともに判断能力はさがります。
家族が説得しても返納を拒否する方もいらっしゃるので、
運転能力にかかわらず75歳で一律返納の義務にしても良いのでは
ないでしょうか。
もちろん若いからって事故を起こさないわけではないので、全員が
安全運転に気を配らなければなりませんが。
車がないと困る地域があるのも確かなので、こういった政策を
進めるためには、そういった方々が不便な生活を強いられないよう
整える必要はありますし、難しい問題ですね。
認知症ではない高齢者に関しては、子どもたちも近くにおらず、地方の車がないと生活しづらい、しかし満足な代替えがない自治体があるところを解決せず、勝手に一律返納を先にすすめるのはどうかと。
バス鉄道が5分10分おきに来る都会と、地方の生活は全く違う。山間の集落で暮らす高齢者たちが多くいて、公共交通機関がそちらまで伸びていないため車が必要となっている。タクシーは片道30分かけて市内から呼ぶ地域もある。問題は山積みだと思う。ご実家がそういう地域の人は、早いうちに考えなければならない問題。
まずは60歳以上の免許更新時に認知試験と技能試験を。
身内から老人扱いされて返納を迫られるよりは、客観的に自分の衰えを認識できますし、60代でやれてたことが70代・80代でどれほどできなくなったのかも自覚できていいと思います。
次に自動ブレーキ等安全装置の義務化ですかね。最新の技術はこういうことにこそ活かすべき。
今話題の「自動運転で運転中に読書可能!食事可能!」だとかそんなくだらない法改正検討するヒマがあったら、今現在そこらじゅうにあふれてる危険運転者から被害者を守るための改正に注力してほしいところです。
その軽い考えが危ない。
一方通行だった道路を忘れて逆走するかもしれないのだから。
認知症患者の運転を容認している家族も甘い。
解決できる問題をあれこれ理由を探して正当化しているだけ。
「認知症と知って事故を起こした場合、それを知っていた家族も連帯責任とする」
と決めればさすがに他人事ではなくなるので、
説得の熱量も変わって、本人と一緒に本気で考え、本気で解決策を模索するようになるかもね。
話しても埒が明かない、考えが及ばない等の場合は
認知症者と高齢者にはそれぞれ厳しい再試験が必要だと思う。
関わる仕事をした事がありますが、どこまで運転OKでどこから駄目の線引きは困難です。
MRIなどで脳の異常があり認知症と診断された方で緩やかに進行する方も居れば急激に進行される方も居ました。
なぜ脳の検査をするか?を考えれば分かる事、
何かしら変…異常だわ、と本人や回りが気がつくからです。
その方が正常な判断が出来ると思いますか?
診断された以上、本人の認知症である自覚と心構え、回りの説得が必要です。
他人を巻き込んで他人の人生を奪ってから…あの時に運転をやめれば、やめさせていれば…と思っても遅い。
認知症の人や認知症の家族を持つ方は、反対の立場に立って自分の家族が、認知症の方が運転する車に巻き込まれて、家族が、子供が、亡くなったら…と考えて見てください。
他人の人生を奪ってまで運転するべきですか?
認知症の問題については、一般ドライバーより職業ドライバーの方が、より深刻な問題だと思います。
貨物もバス・タクシーも高齢化が激しく進んでいます。
私の様に会社勤めでも、70歳超のドライバーがいますし、個人営業の貨物ドライバーで80歳近い方を何人か知っています。田舎ではなく東京です。
認知症になったら免許返納は当然と思ますし、少なくとも職業ドライバーには年齢制限が必要でしょう。
(一般の人の何倍もの時間運転するのですから)
職業ドライバーの年齢の問題が大きく騒がれないのは、経済活動に支障が出るからでしょう。
ドライバーは慢性的に不足してますから、年齢制限すれば物流が滞るかもしれません。(あらゆる業種が道路輸送に頼りすぎです。)
しかし、そろそろ真剣に対策を考える必要があると思います。(私は自分の首を絞めることになるかもしれませんが・・・)
見てみたらお年寄り夫婦だった…二つ先の交差点をウインカーを出さずに曲がって行った
また、お年寄りの事故が増えているためか、お年寄り自身も安全運転を心がけているのだろうけれど過剰すぎる安全運転で流れが悪くせめて法定速度で走って欲しいというケースをよく見かけるようにもなった
集中力や判断能力の衰えは年を取れば仕方ない事
今日直面した事案も、道を間違えたまでは仕方ないとしても確認もせず慌てて車線を戻すなんてきっと若い頃ならしてなかっただろう。ウインカーを二度も出し忘れる事もなかったのではなかろうか?
高齢になったと言うだけでも危険度は上がっている事に気付いてほしい
そこに軽度でも認知症が加わればもう危険としか言いようがない
車は凶器になる事を忘れてはならない
認知症は様々症状が有るなかで記憶が出来なくなると言うのは良く知られている。
夫をみていて感じたのは右の安全を確認して左を見たら右で見た記憶を無くしてる。
車線変更もしかり。
私は直ぐに運転を止めさせて免許証を返納した。
認知症の症状はそれぞれと言うけれど危険を伴うのだから止めさせるに越したことはないと思う。
自身が認知症だから気をつけようと努力で補うのは難しい病気だと感じる。
自動運転支援システムを義務化するか、
完全自動運転車以外の運転を禁止する位の
指針を政府が出すべきだろう。
幾つかの段階を踏んで認知症を発症者に対して
規制を掛ける。
前提条件は、全車にICカードの運転免許証識別
装置を設置済みである事だ。
最初の段階は、自動運転支援システム搭載車に
限定した免許にする。
通常仕様の自動車では、運転免許証の条件を識別
してエンジンが起動しないから、勝手に車を
乗っても防げる。
次の段階は、完全自動運転だから、所有者識別が
できる様にICカードキーで適正者か判定する。
これで自動車による徘徊が防げる。
これで、認知症の発症者に配慮した事になる。
要は、本人が運転させない事だ。
これは自動車業界と政府が対処すべき社会問題
だよ。
早急に対処するべきでしょう。
同様にトラックドライバーの対策もできる。
自動運転で。
この無意味な統計はなんでしょう。
軽度認知症であっても、短期記憶障害により自分が事故を起こしたことや危なかったことなど簡単に忘れてしまう、または自分を当事者だと自覚せず他人の出来事だと錯誤してしまう。
さらに、認知症であると免許を失ったことすら忘れてしまうので、物理的に運転できない環境も整える必要がある。
単身者であれば免許取消とともに車を強制的に競売にかける、同居家族の車あるのであれば、鍵を確実に持ち出せず、仮に持ち出せたとしてもエンジン始動できない鍵をつけるなどの対策は必須。
認知症だから免許取消だけすればいいというのは事故を減らす無くすという観点からは対策が不十分すぎ場当たり的な対応といえる。
都会なら電車やバスを、だけど、近郊や田舎では自家用車が無いと生きてゆけないほど不便な状況なのでは?
うちも実家は東京から電車&バスで2時間だけど、バスは1時間に3本しかないし、それも駅から駅へと向かうものだけ。大型スーパーや病院には乗り換えしないと行けないが乗り換えるためのバスの接続は悪く事実上、バスを乗り継いで行くことは不可能。タクシーも都会のように道路を流していないから迎車か駅前じゃないと掴まらない。つまり自家用車がないとスーパーも病院もいけない陸の孤島。
それを解消してくれないとなかなか免許手放せないのでは? と思ってしまう。自家用車が無いと困るという街づくりをしたことの罪は重いってことなのかなあ。
認知症でも自家用車が手放せない背景を考えてあげないと。誰でも長く生きればなるのだから、車が無くても生き易い街作りを。
話しが全くかみ合わず、それを案じた銀行員が義母をよびだしてくれて、義父を連れて帰りました。
その後、義父はあっという間に認知症が進行。あの時よく無事で運転して銀行まで行ったと思います。
毎日診断をするわけではない、昨日と今日で症状は変わる野が認知症ですからケースバイケースで認めるというもの正直怖いです。
夫(68歳)の運転を見ていても、若いころとは判断がかなり遅くなってるように思えるし、私自身も自分の反射神経の衰えを感じています。
やはり、認知症の人の運転はやめてもらいたいと思います。
今でも義父がもしあの時に事故を起こしていたらと、ゾッとします。
ただ。。私は都市部に住んでいるので公共交通機関を利用できるけど、バスもすくなくタクシーも来ない郡部は本当に「足」なくなる、、んだろうなあと思います。その対策を急いでほしい、、、、
記憶力が問題なのでは無く、瞬間の判断力が問題。
認知症の運転する車に同乗したい人居ますか。
身内の人も、どうですか?
自分だけの事故なら諦めも付くけど
巻き込まれる人の気持ちをどう考えるのかな?
勿論、事故は認知症ばかりでは無いけど、事故の可能性が大な事は
明白。
免許更新時に莫大な保険に入り、身内全員の連帯責任の
念書でも書いて貰いましょうかね、そして必ず助手席に同乗することを
義務付ける事。
田舎に住むのも認知も個人事情です。
自爆事故なら知ったことでは無いけど
他人を巻き込む恐れがあるなら運転すべきでないでしょう。
私は、通過した信号の色が思い出せなくなり不安になったので
50歳で運転止めました。
人生の終わりに近づいて、事故(特に人を巻き込む)を起こしたい人はいないと思います。
しかし、病気や足腰、目、身体的に弱ってきた方ほど、マイカーで行動する方が楽なので手放したくないと思ってしまいます。
余談ですが、若く元気な人でも近所の買い物に車使っている人たくさんいますよね。便利、楽だから。
バス停、駅まで歩けない人もたくさんいます。
収入により、タクシーを電車賃位で乗れる等のサポート体制が欲しいところですが、財源をどうするか?
事故は起こして欲しくない。
それと同時にマイカー手放して、生活に支障が出てしまう部分に、寄り添って考えていく必要はあると感じます。
一番の問題は地方でしょう、車が使用できないと生活が成り立たない地域もあります。こういった地方の人達をどうするか?
タクシーなどを返納者は割引にするとか・・・問題はそう単純ではないですね。
基本技術は大丈夫と言ってもとっさの問題にどう対応できるのかは評価の謂わば見落としになる部分でこれは多くの認知症検査でも問題とすべきだ
刃物もそうだが便利なものは容易に凶器になりえる
個々の不満はそれがあるのは仕方ないが社会全体の問題
一方でそれは交通インフラに問題がないかという問題にも触れることになる
危険運転必発とは限らない。確かに個人の能力で
という文言もあながち間違いではないが、でも
認知症は突然、爆発的に進行し危険運転をする
ケースも少なくない。なので時に随伴者同行で危険
行為がないか見守り、危ないと思われたら随伴者
の判断で返納させるとかにすればいいと思う。
地方部で免許がないと…という方も危険行為を
犯す危険があるなら公共交通が利用できる場所へ
転居をさせ、転居費用は自治体の助成付きとか
にすれば文句はないと思う。
実際に自分の親がそうだった。
自分の家の壁に車をぶつけてそこでようやく返納へ。
何度も通学路で子供と絡むような事故が起きてからは遅いと言っても
聞いてもらえずだった。
田舎暮らしの場合は車がないと生活できない。
これも現実。
高齢化社会にむけてのインフラ整備が遅れているのも事実。
国会もいち早くこういう問題に真剣に取り組んでもらいたい。
特に田舎での高齢者の対応です。
車に関しては早く自動運転が出来る時代になり各市町村でそのような車を保有し貸し出しをするようになればいいんですけどね。
そのための消費税UPなどであればいくらでも許せる。
いずれ自分たちも世話になるのだから。
その前に無駄な予算はとっとと削れ
>義父は「忘れっぽくはなっているが、運転は十分できる」と激怒
そういう人達が事故を起こしているのでは?
とは言え、一理ある
認知症と言っても程度があるのだから、それを一括りにするのは...
個別に検査は手間がかかってしょうがないけど、せめて既存の介護認定の結果を流用するとかすればいいのに
あと土地の事情も鑑みて欲しいよね
「車がないと生活出来ない」と言う場所もある
公共の安全のためなら、運転者及びその家族の権利が制限されるのは当然の事だけど、そう言う場所って『過疎地』
リスク管理の観点から免許取り上げる優先度は極めて低い
公共交通で移動した方が早くて便利な東京、多くの人や車が行き交う政令都市
隣の家まで数キロ、買い物や銀行は数十キロ、人口密度は数人/km2の土地を一緒くたには出来ない
免許取り上げるなら、認知症の程度だけではなくその土地の事故発生率なども勘案して
認知症とは要するに痴呆症であって程度の差こそあれ社会生活を送る上で正常な判断が出来ないということ。
きめ細かい対応とは何を持って基準を作るのか?
自己認知ではなく他社認知で判断するのは当り前で、医師が認知症(痴呆症)と判断した以上凶器と化する車の運転はを許可してはならない。
公共交通機関がない等の生活の不便を解消するのは自治体の問題であって、認知症(痴呆症)の高齢者に運転を許可することとは別問題である。
そもそも免許証を取り上げられたくない「家族の会」調べの数字、当てにはならない。宗教団体の信者数(教団調べ)みたいなもの。
それに、仮にこの数字が真実だったとして、普通の考えなら、じゃあ高齢者全員免許取り上げるべき、とも思うね。15%が実際に事故起こしてる。危うかったと自覚しているのも11%だけど、ハインリッヒの法則から考えると、危うかったと自覚していない人の方がはるかに多いはず。少なくとも一度でも75歳を過ぎて軽重にかかわらず事故を起こした人は取り上げにするべき。
」
しっかりと診断を受けた人に免許返上を促すことに問題はない。
認知症自体は症状もまだらで、一定ではない。
逆に言うと、症状が軽い時に判断してしまうと悪化して事故を起こした時の責任は誰がとる?
記事にもあるように、家族が返上を促して激高すること自体が認知症の症状が出ているように思うけど。
こういう一見、人権を尊重しようというような無責任なマスコミのせいで、事故に巻き込まれる若い人の人権はどうなる?
少なくとも認知症と診断を受けた人の免許返上は義務化すべき。
認知症の方が、仮に更新時に運転能力に問題なしとされても、3年後の次回更新までにどのていど症状が進むかわからないし、今の制度ではチェックのしようもない。
このことを考えると、認知症の方の更新期間を1年間にするとか、精密検査を義務付けるとか、専用の保険への加盟を義務付けるとか、何らかの措置が必要なのでは、と思います。
あるは、認知症の方専用の、小型で低速で衝突時のショックが大幅に軽減されている乗り物をレンタルするのも方法の一つかな?
あまり八方塞りの制度にすると、認知症検査の受診を受けなかったり、結果を通知してくれなかったりと、結果的に問題が水面下に隠れてしまうようにも思います。
もちろん地方で、車がなければ生活が困る人も多く、ご自身が運転しなくても、ほかの解決策を考えればいい。それは行政と政府の仕事でしょう。今まで税金を払ってるから、その生活を保障するべきだと思う。
廉潔な政府であれば、そういう課題と向き合って、取り組むはずです。安倍がいろんな不正をして得た金と比べたら、大したことないはず。
認知症になれば、無免許だとか免許不携帯とか、そういうの考えもせず行動してしまうよ。
歩行が不安定だったり骨折したりしてても分からないで歩こうとしてしまって転んだりしょっちゅうだからね。
認知症者はどんな事情があろうと運転はダメ。
認知症じゃなくてもある程度の年齢になったら免許返納。高齢者には一時的にせん妄を発症する人もいるから。運転中だったら取り返しつかない。
ちなみに認知症の人って自分だけはまともだと思ってる人が多い。自分が認知症であるということが分からない。
周りから見ても問題無さそうな高齢者がどうしてもクルマを手放さないという場合は、自動ブレーキ等の装備が揃った車種限定にした方が良い。
認知症の方が事故を起こした割合が15%と言うけれど、アンケート形式の調査なのか、実際にその人の車を確認したのか明確にしてもらいたい。
車に傷がつけば事故です。すこーし凹んだだけと言っても事故です。自宅の敷地内でも事故は事故です。
恐らく、割合はもっと多いはず。
運転免許証を返納していれば、返納させていれば…という後悔のない世の中になってほしいものです。
そもそも危険かどうかの判断が加齢とともにおかしくなっているのだからこの認識自体意味がない。
70歳を超える方が、10歳以下の子供に対して交通事故起こした場合にどうやって償うつもりだろうか?
これは、認知症本人の為であることをもっと真剣に考えるべきです。
人生の最後に取り返しのつかない汚点をつくらないためにも。
そもそも認知症以前に高齢者は再試験にすべきです。
80才なり85才以上の方、高齢者は、免許の更新とは別に1年に一度なりの、認知症の検査や反射神経テストを病院で受ける事を必須とするなり、定期的な検査は必要だと思う。
医師の診察をクリアしている限りは、運転可能としないと、免許返納して公共のバスやタクシー、スーパーなど、本当に不便な地域もたくさんあるから、一律での返納は難しいと思う。
ゴマカシ可能な宣誓書だけど、自分は正直に書いてる。
だから別室に呼ばれた事もあれば、後日に診断書を手にいれて出直した事もある。
その上で手にしている免許。
自分で判断できないレベルの事柄ってのはある。
やはり車は凶器だから客観的な基準には従うが、その基準を定める人は合理性があるものを決めてほしい。
うちの実家でも、姪っ子たちの送り迎えを祖父母が行うことが多い。平日は兄夫婦も夜遅いことが多いし、公共のバスもほとんどない。昔と違い、夜に徒歩で塾から帰宅させることは難しい。
年寄りが運転しなくても困らないように整備していくのが本筋なのだろう。
ゆっくりな方でも急激に進行することもある。
検査と検査の空白期間を縮めても不満は出るでしょう…。
能力があるない関わらず認知症と診断されたら返納が自分や家族、他人の人生を守る為にも望ましいと思います。
ひとつは、まだまだ運転できるから大丈夫と考えている人が多いため。
もうひとつは、免許を返納した際のサービスが乏しく不便になるため。都会は交通網が田舎と比べて張り巡らされているから生活に大きな影響は比較的伴わないかもしれないが、近くのコンビニまで10キロもある田舎民にしてみれば生活に大打撃なのは言うまでもない。
当然、認知症高齢者の免許返納には大いに賛成の私ではあるが、サービス等の充実も並行して進めるべきだと思う。
自主的に返納する人が少ないから一律となっていると思うけど、高齢ドライバーの運転で現に色々な事故が起きてる以上、一般市民としては返納してくれないと怖い。
高齢者以外の人も同じく、循環器系、神経系の持病があり、突然意識消失するなどの危険や、煽り運転常習や、事故を頻繁に起こす人は返納すべき。
車の免許制度はもっと厳格であるべきと思う。
不満は出るが、自らが加害者にならない、家族に迷惑をかけない為の事と理解して欲しい。
割りと法律さえ整備されれば、不満もあるが定着するのでは?
何らかの策を打たないと自主返納推奨、代替え手段整備だけでは抜本的な対策にならない気がします。
教習のプロは認知症のプロではないし、認知症のプロは教習のプロではない。
今しっかりしていても、数ヶ月後は危険になっているかもしれない。
正しく判断できる知識と経験のある人が3ヶ月毎位に一人一人個別に評価する、ということが可能ならよいが、現実無理。
まだ余裕のあるうちに返納が無難だと思います。
事故を起こしたか、危うかったかがそもそも認知できてない可能性があるからなぁ…。
常に誰かが同伴して、ハンドル奪うか教習所の車みたいに助手席ブレーキが付いてる車に乗るってならまだしも。
あと症状に個人差があるのはわかるが、進行スピードにも個人差があるし、一人の患者についてもそのスピードは一定ではないから、いつ誰がどの段階から運転が難しくなるかの細かな線引きは難しいんだよね。。だからフェールセーフ的な考え方で一律免許取り上げが今のところ最良の妥協案なんだと思うけど…まあ難しいね。。
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